コンサルの現場で壊れていく心──過労と無力感の末に選んだ休職という選択

「逃げ」ではなく「前向きな選択」
目次

はじめに

転職は人生を変える選択だとよく言われますが、その選択が心を蝕む結果になるとは、想像していませんでした。

この記事では、システム導入業務に疲弊して転職した私が、再び同じような業務を任され、上司との関係に悩み、過労やメンタル不調を経て休職を決断するまでのプロセスを綴っています。

私と同じように、仕事や人間関係で悩み、限界を感じている方に少しでも寄り添えれば幸いです。

システム導入からの脱却を目指した転職

やりたくない仕事からの卒業を目指して

前職では、コンサルタントとして企業のシステム導入プロジェクトに長く携わっていましたが、「もうシステム導入の仕事はやらないぞ」と決意し、私は転職活動を始めました。(転職までの過程は前回の記事をご覧ください!)

転職活動の中で、ある会社と出会いました。新たな挑戦ができそうな雰囲気に惹かれ、面接では「システム導入はもうやりたくない、上流工程に挑戦したい」と率直に伝えました。(もちろん、もっとオブラートに包みつつ論理的に話しました。)

面接で伝えた想いは届かなかった?

最終面接の面接官も「上流工程をやるなら、こういうところが足りてないだろうからがんばろう」と言ってくれました。
その面接官は、私が休職する直前まで、私が上流工程にかかわれていないことを気にかけてくださっていました。

しかし、今振り返ると、そもそも会社としては私に上流工程を任せる想定はなかったのかもしれません。
思えば、面接前の”カジュアル面談”から、歓迎ムードでした。
面接前からということは、私の”やりたいこと”ではなく履歴書や職務経歴書の内容から歓迎していた、ということでしょう。
となると、私が採用されたのは”システム導入の経験”を買われてのことだったのだろうと思います。
入社前までは、実際システム導入のサービスはやっていませんでしたが、入社直後にそのサービスを提供するチームが発足。
その後しばらくしてチームがシステム導入の案件を受注し、私はそのプロジェクトにアサイン(配属)されました。

きっと、もともと”システム導入のサービスを提供するチーム”の発足は決まっていて、そのための人員として私が採用されたんだろうなあ、と想像します。
まあ、想像の域を出ませんが。。。

新しい職場で抱えた過剰な責任感と焦り

実績を作らなければというプレッシャー

転職後、私はとにかく実績を出さなければという焦りに駆られていました。中途入社という立場もあり、「すぐに結果を出さないと認められない」と思い込み、やりたくなかったシステム導入の仕事も引き受けてしまいました。

システム導入の仕事ならやりたくないけれど結果を出せる、結果を出せばやりたい仕事をやらせてもらえる、と信じていました。
だからこそ、システム導入の仕事をやりながら、別のチームの執行役員と定期的にコミュニケーションを取ったり、社内の新しい取り組みに参加するために手を挙げたりしていました。

でも、どんなに自分が意思表示しても、手を挙げても、システム導入のプロジェクトから自分が身を引ける未来が見えませんでした。
希望を見出せなくなってきたのです。その上、システム導入の仕事が心身ともに負荷が高く、徐々に限界に近づいていました。

足りない人員、重なる業務、限界に近づく心

上司と対話を避けた私の未熟さ

上司との関係も、また、うまく築けませんでした。
正直に言えば、「この人とは合わない」と最初から距離を置いてしまっていたのです。

前職での反省を活かせず、結局また「対話」を避けてしまっていました。上司に対して不信感を持ち、自分の考えを伝えようとせず、レッテルを貼って心を閉ざしていたのです。

上司のランク(役職)は高いのに、こんなこともできない、これもやってくれない、、、と、目の敵にしていました。
今思えば、その上司を私がうまく”使う”ことができればよかったのでしょう。(言い方は悪いですが。)
でも、当時の私は上司を責めることしかしませんでした。

何をしても変わらないという無力感

上司とうまくいかないだけでなく、そもそもプロジェクトを進める上で、圧倒的に人が足りていませんでした。
(もし私が上司とうまくやれていたとしても、足りていなかったと思います。)
スケジュールも無理があるように思っていました。

私は前職での経験をもとに「このままではうまくいかない」と何度も伝えました。しかし、改善されることはなく、次第に「何を言っても無駄なんだ」と感じるようになっていきました。(改善できない状況だったのだとも思いますが。。。)

今思えば、目の前の業務をこなす前に、冷静に数字で人員不足やスケジュール不備を示すべきだったと思います。
でもそのときの私は視野が狭く、目の前の業務をこなすので精一杯なんだから人員不足とか計算できるわけないでしょ!!!と思っていました。

優先順位、間違ってますね……

過労とメンタルの崩壊

仕事を抱え込みすぎて、毎日疲弊していました。
業務量に対して明らかに人手も時間も足りなかったのに、自分ひとりでこなすしかない、、と思い込んでいました。
誰かに頼ることも、品質を落とすことも、自分の中では受け入れられなかったのです。

気づけば、朝起きるのがつらくなり、感情の起伏も激しくなり、どれだけ眠っても疲れが取れない状態が続きました。

でも、まだやれる、と思っていました。

心が折れた瞬間と休職の決断

楽しくない趣味旅行と飲み会の一言

そんな中、無理やり1週間の休みを取り、趣味だったひとり旅に出かけました。
本来なら心が安らぐはずの時間。けれど、何をしてもまったく楽しくなく、むしろすぐにでも帰りたいと思ってしまいました。

そしてある日、職場の飲み会で、ある上司から冗談めかして「Sasanquaさんはわがままだからなあ」と言われたのです。

その一言で、
「私がこれまで伝えてきた”意見”はわがままだと捉えられていたんだ・・・」
と感じ、心がぽきりと折れました。

心療内科・産業医・友人の声

翌々日、心療内科を受診し、医師からは「休みなさい。無理なら業務量を減らしなさい」と言われました。
その言葉に、どこかホッとした自分がいました。友人にも相談し、産業医の面談も受けました。やはり「一度休むべき」という意見。

ようやく、自分の限界を認めることができた気がしました。

休職を選ぶということ

逃げたいという本音

「メンタルを立て直すために休むんだ」と言いたいところですが、正直に言えば「ただただこの状況から一刻も早く逃げ出したかった」のです。
医師の診断は、逃げたい私の背中を押してくれました。

でも、今はあの時の判断は間違っていなかったと思っています。
”逃げ”という言葉はネガティブに聞こえますが、私は前向きに逃げた、と言いたいです。

葛藤と向き合いながらの引き継ぎ期間

休職が決まってからの2週間は、地獄でした。心身の調子が悪い中、最低限の引き継ぎをこなさなければならない。「ここで迷惑をかけるわけにはいかない」と思う一方で、「もう何も考えたくない」と思う気持ちも交錯していました。

毎日、引き継ぎの時間が終わると泣いて過ごしていましたが、なんとかやりきりました。

でももし、今、休職をする段階にいる人がいるなら、この時の私に声をかけるなら、こう言います。
「引き継ぎなんかしなくていいから一刻も早く休みに入れ」

おわりに

今振り返れば、入社前からすでに歯車は噛み合っていなかったのだと思います。
「もうシステム導入はやりたくない」と伝えたのに、会社側はシステム導入のサービスを立ち上げる人材として私を採用していた。そんな食い違いが、やがて心を壊す引き金になっていきました。
過労に加えて、希望を見出せなくなったことが、大きな原因だったように思います。

違和感を見逃さないこと、人に頼ること、無理をしないこと――どれも当たり前のようでいて、仕事に追われていると忘れてしまいがちです。

もし、この記事を読んでいるあなたが今、過労やメンタルの不調に悩んでいるなら、自分の心の声に耳を傾けてください。そして、必要であれば「逃げる」という選択も、決して間違いではないということを知ってほしいと思います。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次