【独り言】世界はどこまで”上”を目指すのか

worldgoal

Youtubeを見ていたら、広告中にこんなフレーズが聞こえてきた。
「世界はより高みを目指すために存在しているからです」
そうなのか?という疑問、違和感を覚えたので、それを言葉にしたいと思う。

目次

経済という視点

私も投資をしているので、経済・株価という点では世界は右肩上がりであることを望んでいる。
確かに、株価は長い目で見れば世界的にも右肩上がりになっているのは事実(短期的には世界恐慌やリーマンショック、日本のバブル崩壊などがあったとしても)。

そしてきっと、これから先も長い目で見れば右肩上がりなんだろうな、そうだったらいいなと投資家目線では思っている。
世の中の企業も、時に矛盾を孕みながら(環境問題や過剰労働、人権問題などなど…)常により高い利益を目指し続けている。

技術の視点

技術(テクノロジー)の観点でも、進歩し続けている。
CMのフレーズを借りれば、高みを目指して研究開発が進んでいるんだろうと思う。
産業革命以来、技術革新は留まることを知らないし、最近ではAIが出てきて、ある意味指数関数的に様々なものが便利になっているようにも見える。
Google検索という検索エンジンですらものすごい技術であっただろうに、今となってはればAIが検索結果をまとめてくれている。
人間が自分の時間を使わなくても情報をまとめてくれたりしている。
AIに限らず、技術によってあらゆるものを効率化している。

人間はその効率化した時間を、余暇ではなく新たな仕事に充てている。
AIを導入したのに時間が増えない、という矛盾?についてはこちらの記事に私の意見を書いています。
併せてご覧いただけると嬉しいです。

”高みを目指し続ける”世界への違和感

技術革新をして、経済発展して、株価が上がって、便利になっている。
一見すると、豊かになっているように見える。

でも、本当にそうなのか?という疑問がある。
消費者は”不要な”便利さを求めていないか?
その”不要な”便利さを、供給者側が提供しているのではないか?
だから、いつまでも余裕がない、余白がない世の中なのではないか?

例えば、日本ではよく見る”24時間営業のコンビニ”。
確かに、病院のコンビニや社会インフラにかかわる場所の近くにあるコンビニは24時間営業していてもよいと思う。
病院では、夜勤の医療従事者のみならず、深夜に救急搬送された人の家族や付添人のために、夜中も営業していてほしいと思う。
でも、基本的に夜中は寝静まっている住宅街の付近にあるコンビニは、24時間営業している必要があるのか?
確かに深夜に急に何かが必要になるケースもあるだろうが、そんなのは事前に準備しておけばいいだけの話で。
深夜に本当に必要な緊急性があるものは、コンビニでは対処できないはず。
まあ、夜中でも明るい場所があると防犯になるという話もあったりするわけだが、そんな夜中に暗い住宅街を出歩くなという話でもある(夜中に帰宅する必要がある人達を批判しているわけではないし、防犯・治安という点は24時間営業のコンビニに解決策を求める必要はないのでは、という話)。

深夜もやっているコンビニは確かに便利だ。
どんなに準備をしていても、深夜になって急に気が変わって必要なものが増えるかもしれない。
でも、本当に”必要”なのか?という点に立つと、本当に24時間営業じゃないといけないコンビニは実際よりもうんと少ないんじゃないかと思うわけで。
じゃあなんで24時間営業のコンビニがたくさんあるかというと、消費者が便利さを求めているからで、消費者が求めているなら供給者はそれを提供するよね、という話。
だって儲かるんだもの。
似たような話をAIを導入したのに変わらぬ働きすぎという記事(上記で紹介したものと同じ)でも話しているが、つまり私はずっとその違和感を抱えているということ。

そんな違和感を抱える中で流れてきた「世界はより高みを目指すために存在しているからです」というフレーズには、これを標榜する”企業”がいるということに驚きを覚えたわけだ。

”足るを知る”ということ

「足るを知る」という言葉は、古代中国の思想家・老子の『老子道徳経』の一節「知足者富(足るを知る者は富む)」にある。
物質的な所有や地位に執着せず、自然の流れに従って満足を知る者こそが、精神的に最も豊かで真の成功者である、という意味だとされている。

原典を読みたい方はこちらをどうぞ。
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経済や株価の右肩上がりや、技術革新、24時間営業のコンビニなどは、物質的な豊かさであるように思う。
でも、その物質的な豊かさを享受している人たちは、精神的にも豊かなのか?という違和感が、私にずっとあるんだろうと思う。

コンサル時代、正直年収は高かった。かなり。
でも、精神的には全く豊かじゃなかった。
毎日理不尽なスケジュールに追われ、上司から詰められ、長時間労働が常態化し、常にイライラし、眠い。
休みの日も仕事のことを考えないといけないし、熱が出ていても解熱剤を飲んで仕事をしなければならない。

お金があっても、つまり物質的な豊かさがあっても、幸せではなかった。
もう、そんなに多くを望まなくていいんじゃないか。
なんなら、もう少し物質的に質素でもいいんじゃないか。
と、思う。

もちろん、物質的な豊かさを求めることを否定するわけではないし、すべての人が現状維持で良いと言っているわけではない。
でも、世界として、これ以上の技術革新って必要なんだろうか、とか、これ以上の経済発展はいるんだろうか、と思う。
むしろ、その”上を目指す”パワーを、今苦しんでいる人たちに回せないだろうか、と思うわけである。
社会主義でも共産主義でもないんだが、力を使う場所をもっと平均化できないんだろうか。

と、いうことを、Youtube広告から考えた。

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